故人西辞黄鶴楼
煙花三月下揚州
孤帆遠影碧空尽
惟見長江天際流
…といえば李白の
『黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る』
ですよね。
中学の教科書に載っていて、めちゃくちゃ心動かされたのがこれなんだよね。
五言絶句とか七言律詩とか、試験で解いた気がします。
「きれい」とか「情景が~」とかじゃなくて「『お別れ』をこうやって詠むんだなぁ~」って衝撃が大きかったのよ。
心情の描写じゃなくて、実際に起きた出来事や目に見えたものが順々に描写されているような様が、ちょっと虚しい感じと相まってかっこいいな~って思ったんだよね。
教科書に載ってたね
教科書に載っていなければあえて触れることなく生きてきた可能性もあるので、義務教育で色々なものに触れることができるシステムになっているのはよかったなぁ~って思います。
(後の私は現代誌や短歌を作り始めることになるので、その流れでまたそんな話題に触れることにはなるんだけど)
「かっこいい~~~!!!」って思ったあの気持ちは一生ずっと覚えてると思う。
学校が好きとか学校の勉強が好きとかではなかったけど、突然「これだ!」ってものに出会えることがあるから、悪いことではなかったんだと思います。
教科書に載っていなければ漢詩に触れるのはもっとずっと後になっていたはずなので。
授業では詩を味わう的な部分は割愛されていたけどね(´・ω・`)
先生次第に…
今思えば、もっとちゃんと説明してもらって自分で作れるようになりたかったなぁと考えたりもします。
小学校も中学校も、「詩歌(詩、短歌、俳句)」の単元って、先生がたまたま詩をお好きな人じゃない限り結構雑に流されることが多い気がするんだよね…。
私は詩とか短歌の単元が結構好きだったので、もっとやりたかったなぁ~と思ったり、先生にたくさん質問してもあまり響く解答が返ってこなかったり…そういうことはよくありましたね。
文学は芸術でもあったりするから「詩歌」関連の部分は先生の理解度で変わってしまうのもしょうがないかなって思ったり。
漢詩については公民や倫理の先生がよくご存じだったりするケースもあるので、国語の先生だけが担当するのは難しいのかも?
『ここは今から倫理です。』の高柳先生はたくさん知ってそうだよね…
専門分野って…
その後に私が知り合った詩人の先生は、ある生徒が「漢詩」を提出してくるものだから専門分野じゃなくて他の専門の方に聞いて添削してるって言ってたんだよね。
さすがに専門の分野じゃなければ難しいよね。
でもプロの人はそうやってわからない部分でも対応していくんだな~とか、ちゃんと人脈があるってことがプロなのかもしれないなぁ~と思ったりした。
「国破れて山河在り」の「春望」も好きだったな。
自分の中では洋画のめちゃくちゃかっこいいシーンみたいなイメージが浮かんで「『渋い』ってこれのことだ!」って何故か突然合点がいって、ぞくぞくしたの。
角川のビギナーズ・クラシックスが好きでたくさん読んでました。
古典系がめちゃくちゃ読みやすいのでお気に入りでした。
漢詩のこと、数年に一回ぐらい突然思い返していいなぁ~ってなってしまう